2023年4月15日(土)
KONOMATAのひとり言
神奈火山の麓に斐川西工業団地があり、コンクリートや木材などの建設資材を扱う会社が集まっています。
「協同組合プレテクノしまね」もその中のひとつで、木材加工の先進企業です。
今回、新しい木材機械を導入されたので操業安全の清祓いの依頼を受けました。
木材は長いので機械の長さも必要です。
木材を送りながら加工を加えていき、出てきたときには完成されています。
それ ...続きを見る
2023年4月14日(金)
KONOMATAのひとり言
御井神社の木俣大神が、大国主命と八上姫命とのお子神であることから、白うさぎとご縁のある神社として知られています。
今日、御井神社に新たなうさぎが仲間入りしました。
あかちゃんのお宮参りで参拝されたご夫婦の記念撮影終了後、あかちゃんのお母さんに声をかけられました。
「このうさぎを奉納させてもらえませんか。」
「どなたかがお作りになったんですか?」
「はい、今 ...続きを見る
2023年4月13日(木)
KONOMATAのひとり言
世間を花見が席巻しているとき、私も花見の名所ばかりに目をやっていました。
花見の時期が終わり、桜ロスになっていたところ、ふと我が家の庭に目をやるとちゃんとここでも花が咲いていました。
シャクナゲです。シャクナゲの花を見ると兄を思い出します。
兄は身体を壊して長らく療養していました。そのとき心を癒してくれたのが数々の植物だったようです。
はじめは、観音竹(カ ...続きを見る
2023年4月12日(水)
KONOMATAのひとり言
国道54号に並行して流れる三刀屋川の両岸には、約2キロに渡り桜が植樹してあり、先日ご紹介しました御衣黄も含まれています。
この三刀屋川の西にある山の上には、かつて三刀屋城がありました。
三刀屋城は、1221年諏訪部氏によって築城され、以来1588年まで14代368年間に渡って、三刀屋(諏訪部)氏の
居城でした。
現在は、城址公園として整備され市民の憩いの場として親しまれていま ...続きを見る
2023年4月11日(火)
KONOMATAのひとり言
米子市の中心地、湊山に築かれた米子城は、最近「絶景の城」全国一位に選ばれるなど特に注目を集めている観光スポットです。
先日、県外からのお客様をご案内しました。
この方は、歴史やお城に造詣が深く今回の訪問を楽しみにされていました。
鳥取大学病院の路地を曲がったところで、突然巨大な城壁が目に飛び込んできました。
車を湊山公園の駐車場に停めてから城に向かって歩い ...続きを見る
2023年4月10日(月)
KONOMATAのひとり言
出雲市平田町の木綿街道入り口近くに来間屋生姜糖本舗があります。
出雲のお土産として江戸時代から人気の逸品で、当時のままの製法と味を今に伝えています。
本日、来間屋生姜糖本舗様がお参りされました。
生姜糖は、生姜と砂糖と水だけで固めたシンプルながら奥の深いお菓子です。
生姜は、斐川町出西地区でしか栽培されていない出西生姜を使用しています。
出西生姜は、繊維が ...続きを見る
2023年4月9日(日)
KONOMATAのひとり言
桜の花見シーズンは終わったかのように思われますが、それは違います。
先週、華々しく散ったのはソメイヨシノで、品種によってはまだ見頃の桜もあります。
雲南市三刀屋町で有名な「御衣黄(ぎょいこう)」もそのひとつです。
御衣黄は、花びらが上品な薄緑色です。
それじゃあまるで葉っぱみたいと思われるかもしれませんが、よく見ると八重になっていてそれなりに華やかです。
確 ...続きを見る
2023年4月8日(土)
KONOMATAのひとり言
御井神社の秋の例大祭で、笛の奏楽をお願いしている樋野達夫さんのことが、4月6日付けの山陰中央新報「明窓」に掲載されていました。
樋野さんと言えば、現在出雲地方では並ぶ者のいない笛の名手として慕われています。
笛を教えたお弟子さんもたくさんおられます。
その樋野さんは、ご自分でも笛を製作しそれは主に「龍笛(りゅうてき)」と呼ばれています。
神楽で使われるよく似た ...続きを見る
2023年4月7日(金)
KONOMATAのひとり言
珈琲が好きで、1日2回は自分で淹れて飲んでいます。
子どもの頃は、インスタントコーヒーが主流でした。
苦かったので砂糖やミルクを入れて飲んでいました。
大人になってからは、豆を挽いた珈琲を飲むようになり毎日飲みたくなるくらいはまっています。
珈琲は、まず香りがいいですね。心が安らぎます。
ただ苦いだけではなく酸味やコクや甘みさえ感じるときがあります。
豆の ...続きを見る
2023年4月6日(木)
KONOMATAのひとり言
「ハァ〜〜 関の五本松 ア ドッコイショ 一本切りゃ四本 あとは切られぬ 夫婦松… 」と歌われる民謡関の五本松。
かつて松江街道沿いに生えていた五本松は、船乗りたちの目印として親しまれていました。
ところがある日、そのうちの一本が通行を妨げるため伐採されてしまいました。
この事件から上の歌詞が生まれ、美保関の花柳界でお座敷歌にのせて歌われるようになりま ...続きを見る