実巽(じっそん)神社

御祭神は、母神 八上姫様です。

実巽神社外観
結西谷(むすびにしたに)地区の氏子の皆様が代々御守り
されてきた神社です。
御井神社から南方1km離れた山の斜面に建っています。
実巽神社
毎年、4月の最終日曜日に例大祭を行います。
実巽神社
御井神社から南方1km離れた山の斜面に建っています。
鳥居はありません。
実巽神社
社日とは、生まれた土地の神様を祀る日です。
春と秋の二回行われます。
春分と秋分のそれぞれに最も近いつちのえ/いぬの日を指します。
春の社日は、豊作を祈り、秋の社日は、収穫を感謝します。

社日塔(五角形の石柱)

五角柱の正面から時計廻りに神様のお名前が刻まれています。
天照大神(あまてらすおおみかみ)     農業の祖神
大巳貴命(おおなむちのみこと)        国土守護の神
少彦名命(すくなひこなのみこと)     徐疫の神
埴安媛命(はにやすひめのみこと)     土の祖神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)     五穀の祖神
 

「うばすて山と木俣年(このまたどし)」

還暦(生まれて61年目)の年を、昔から木俣年といっているところが各地にあります。この年齢になると、うばすて(姥捨)といって、昔は老人を山へすてた、ということを多くの人は信じているようですが、そうではないのです。その昔は、生活にゆとりのある人は木俣年になると静かな山の中へ入って隠居して暮らしたものです。さらにそこには、産屋(うぶや)もあって、お産や赤子の世話を老人がしたものです。

この里は、よい水、広い田畑があり、内海(入海)に近くて魚もとれ、交通の便もよく、住みよい地であったので、生活にゆとりのある古代人が多かったように思われます。

八上姫が産気づかれたとき、その産屋にみちびかれ、木俣年の老女たちが手伝ってお子神をご安産になったのではないかと考えられます。そのようなことから、そのお子神は木俣神(このまたのかみ)といわれるようになった、といえそうです。古事記では、生まれたばかりのお子神を、木の俣にかけておいたまま母神が因幡へお帰りになった、とありますがいかに神代の昔話であるとはいえ、ひどすぎるように思われます。

この地のうばすて山のすぐ西方の丘のふもとに、結(むすび)神社があります。雲陽誌(1717年)には、実巽(じっそん)神社とあり、八上姫神をご祭神としている、とあります。

いい伝えによると、この地の神々が因幡国へお帰りになろうとしている八上姫を引き留められて、この丘のりっぱなお宮をつくってさしあげたので、思いとどまられた八上姫はここにお住みになり、お子の木俣神の成長をねがわれ、そして、お子神と共にこの結の里の守護神となられた、ということです。

「斐川の地名散歩」より抜粋 著者:池田敏雄(郷土史家)